SSブログ

青春18きっぷの旅2017夏2長篠設楽原古戦場跡 [歴史・史跡]

青春18きっぷの旅2回目の目的地の一つは、ここ
image-20170924185734.png

長篠城駅です。
image-20170924185754.png

長篠城は、武田と徳川が覇権を争った城。甲斐武田終焉のきっかけとなった、長篠の戦いの長篠城です。長い間、行ってみたいと思っていた城址の一つ。

長篠城駅は、愛知県の豊橋から長野県の辰野を結ぶ、JR飯田線の駅です。

豊橋駅
image-20170924191400.png
今回、愛知県に仕事で行くついでに、念願の長篠城に行くことに!

それに、飯田線は、長い間乗ってみたかった路線。

というのも、愛知県・静岡県・長野県の境を走る飯田線は、実は武田終焉を巡る路線?

何故かと言えば、武田信玄が亡くなる前の最期の城攻めは、野田城と言われていますが、その野田城址は、飯田線沿線。
沿線に野田城駅もありますd( ̄  ̄)

野田城攻めの後、武田軍は、京都に上るかと思いきや、信玄が病に倒れ引き返し、信玄は、甲府までたどり着く前に信濃の駒場で亡くなったと言われています。亡くなった場所については諸説ありますが。

その駒場は、長野県阿智村付近と言われています。

阿智村は、鉄道が通っていない村ですが、最寄は、飯田線。かなり距離はあるようですが。

瀕死の信玄一行が引き返して行った三河街道は、飯田線の山越えた向こうですが、飯田線とほぼ平行して走っていたのではないかと。

では、出発!

豊橋駅の飯田線ホーム付近になぜか改札口が。


手前飯田線、奥東海道線、いずれもJR東海の車両なのに
image-20170926121422.png

あ、JR東海の車両と車両の間に赤い電車が入ってきた!
image-20170926121446.png
名鉄です。

東海道線と飯田線の間になぜに名鉄????

というのは、飯田線は、しばらく名鉄と並走して走りますが、この線路がなんとJRと名鉄併用区間!

だから改札口があるんですね!

最初に向かったのはこちら。
image-20170926122643.png
なぜか豊川稲荷?

当初の計画では、長篠城に直行する予定だったのですが、豊橋駅でトイレ行ってる間に、長篠城まで行く電車が行っちゃった( ̄Д ̄)ノ

次に長篠城まで行く飯田線は、一時間後d( ̄  ̄)
商売繁盛の神様豊川稲荷は、豊川駅から歩けそう。ということで、急遽次の飯田線の終点豊川へ(^_^)☆
image-20170926122718.png
こんな急な予定変更ができるのも、18きっぷならでは。
ちなみに、豊川稲荷、「稲荷」といっても神社ではなくて寺です。ですが、鳥居がありました。神仏習合ごちゃまぜが、日本らしい。


余り時間がありませんでしたが、門前で名物の稲荷ずしゲット。
image-20170926122738.png

急いで豊川駅に戻り、本長篠行きに乗車。

途中、野田城趾を車窓から眺めつつ。戦国武将が駆け回っていたんだろうな、と思いをはせつつ。

車内で、稲荷ずしを食べました。ボリュームたっぷり、お腹いっぱい。
image-20170926122757.png

寄り道して、本日の目的地長篠城にやっとたどり着きました(^_^)☆
image-20170927012422.png

早速、城址に向かいます。

途中、遺構らしき標識が。
image-20170927012501.png
郭趾のようです。

本丸趾が見えてきました
image-20170927102438.png

飯田線の線路に沿って、堀など遺構がよく残っています。
image-20170927102508.png

線路の向こうにも遺構が。踏切をわたります。
image-20170927102839.png

井戸のあと。城址にはつきもの。
image-20170927103001.png

野牛郭趾
image-20170927103025.png
つまり、飯田線の線路は、長篠城の中を突っ切っていますψ(`∇´)ψ

続いて、長篠城址史跡保存館へ。
image-20170927115826.png
長篠の戦いの際、徳川方の援軍を呼び戻ってきて、捕らえられ、武田方によって磔にされた鳥居強右衛門についての展示が充実しています。というか、この付近では、強右衛門人気。
飯田線の長篠城の隣の駅は、強右衛門に因んで、鳥居って駅名だし。

強右衛門は、捕らえられた後、援軍が来ないという嘘の情報を伝えるよう、武田方に迫られます。
しかし、それに従わず、長篠城の対岸で磔にされます。

image-20170928101543.png
このフェンスの向こう対岸が、鳥居強右衛門磔の地とされています。が、緑が生い茂り、よく見えないd( ̄  ̄)

保存館を後にして、設楽原古戦場跡方面へ。

途中、武田方武将のお墓が。
image-20170928193244.png
設楽原で戦死した馬場美濃守のお墓。実は亡くなったのはここではなく、川の上流、北の方。ですが、ここには首が埋められているとか。

このようなお墓が、この辺りには沢山あります。

途中、新東名の下をくぐったりして、30分位歩いて、設楽原歴史資料館につきました。

屋上からは、古戦場跡が一望できます。
image-20170929143151.png
真ん中の田んぼのあたり、馬防柵が復元されています。
手前が武田方、奥が織田・徳川連合軍方

馬防柵とは、織田・徳川連合軍が、設けた、武田軍の騎馬の突入を防ぐ柵。
この柵の向こうから、火縄銃を連射して、武田騎馬軍団を撃退した、というのは、有名。

設楽原は、初めて火縄銃を本格的に使った戦いということで、歴史資料館は、火縄銃の展示が充実。

歴史資料館を出たところに、こんなものが。

首塚です。
image-20170929144111.png

設楽原の戦後、そこらじゅうに戦死者の死体があったのを、地元の方が祀ったと言われています。
image-20170929144140.png

この辺りは、武田の陣地だったので、武田方、ということで、信玄塚と呼ばれている模様。
image-20170929144206.png
もう信玄は亡くなっていますが、武田といえば、信玄、ということなんでしょう。

そういえば、この辺りの台地も、信玄台地と呼ばれています。武田方が陣取ったからでしょう。

ここから歩いて10分ほどで、三河東郷駅。
image-20170929185110.png

image-20170929185134.png

再び、飯田線に乗って、辰野方面へ。
image-20170929185155.png

向かったのはこちら。
image-20170929185338.png

え、温泉?
image-20170929185406.png
今宵の宿です。
続きは、またの機会に。

nice!(9)  コメント(1) 

nice! 9

コメント 1

エンジェル

豊川稲荷って愛知県にあるのですね。豊橋は訪れたことはあるのですが、豊川は行ったことがありません。18切符を使ってこんなのんびりとした旅を一度してみたいです。アニーパパの定年後かな(笑)あと数年後です(^^;
by エンジェル (2017-10-06 10:37) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。