中城城 [歴史・史跡]
所用で、沖縄へ。
ついでに、念願のこちらの城跡へ。
中城城。なかぐすくじょう、と読みます。
「琉球王国のグスク及び関連遺跡群」が世界遺産に登録されていますが、グスクとは、琉球王国の城。
つまり、琉球=沖縄の「城」は、「ぐすく」と読みます。
なので、中城城は、「なかぐすくぐすく」と読むのでは?とも思うのですが、そうではないのであります。
で、ここに行くのがなんで念願だったか?
理由一つ目は、沖縄県では、もっともよく遺構が残っていると言われていること。
これは、現地にある模型ですが、全体の様子がよくわかります。
ここは、まだ、琉球が3つに分立していた14世紀の後半ごろ、主要部分が築かれ、その後、1440年に護佐丸が増築、完成したと言われる城。
護佐丸が1458年、他の城(勝連城)の城主の攻略によって滅びた後、しばらくして統一された琉球王国の所有になったとか。
その後、薩摩の島津氏が侵略した、江戸時代を経て、
明治時代から終戦までは、村役場が置かれるなど、行政の中心地でしたが、沖縄戦で建物が焼失し、各時代にどんな建物が立っていたか詳しくはわかっていないとか。
念願だった理由二つ目は、城跡から海が見渡せること。
沖縄の城跡と言えば、琉球石灰岩でできた城壁。石灰岩とは、サンゴの死骸でできた石ですので、本土の石垣の石とは一味違う。それに、城壁の曲線も、なんともいえず、きれい。
そして、沖縄の海は、なんとも言えない、エメラルドブルー。
これに、青空が加われば、きっと、えもいわれぬ素晴らしい景色なことでしょう・・・想像がふくらみます!
沖縄は梅雨入りしていましたが、この日は、幸いに晴天に恵まれました。
念願だった理由三つ目、空港のある那覇市内から、バスで行けそうなこと。
前回沖縄に行ったときは、どのバスにのればよいのか、よくわからず、断念したのですが、今回、下調べした結果、何とかバスでたどりつけそうなので、再チャレンジしてみたのです。
城跡へは、那覇のバスターミナル発着の30系統のバス(行先表示に30と表示されている。泡瀬営業所行など、泡瀬東線)で、一時間ほどの、「久場」(くば)というバス停で降り、徒歩15分ほど。片道790円なり。休日でも30分に1本程度は便があります。(以上、2016年・平成28年5月末現在の情報です)
バス停から、バスの進行方向に向かって、先にしばらく歩くと、左手に久場公民館が。その前を左折し、後は道なりに15分上っていき、上りきったところを右に曲がると、城跡付近。
15分とはいえ、ずーっとだらだらした上り。登山です。きついはきついですが、アスファルトの舗装された道なので、山道という感じではありません。
それに、後ろを振り返ると、エメラルドブルーの海が見えます。時々、海を見て休憩しながら、何とかたどりつきました。
裏門側から入城すると
そこは「北の郭」
北の郭には井戸が。今もこんこんと湧いてます(@_@;)
水を確保することは、籠城するときに極めて重要なこと。中城城は、このほか、もう一つ城内に井戸を確保していました。
二の郭。南西側城壁。エメラルドブルーの海が見えます。実際はもっときれいでした。
かつて、この近くの屋宜というところに貿易港あり、そこでの貿易で栄えたとか。
ちなみに、屋宜というバス停、バスで通ってきたなあ、そういえば。
二の郭。南東側かな?この城壁のきれいなカーブが特徴です。
二の郭には、忠魂碑が。→沖縄戦のかな?
沖縄戦含め、いくつもの戦場となった場所です。
一の郭への入り口の門。
一の郭には、正殿が建っていたようですが、どのような建物だったか、わからないそう。
順路の一番奥にあるのが、正門です。
城址の手前に、護佐丸の墓が。
沖縄の独特の墓の形。17世紀にたてられたもののようです。
墓の前の石碑。護佐丸の名前が彫られています。これは、大正11年に建てられたものですが・・・。
チケットには、幕末、ペリー提督一行が調査に入ったときの、絵が。
建物が見えますが、これは、現在ではありません。
それにしても、暑かった・・・
ついでに、念願のこちらの城跡へ。
中城城。なかぐすくじょう、と読みます。
「琉球王国のグスク及び関連遺跡群」が世界遺産に登録されていますが、グスクとは、琉球王国の城。
つまり、琉球=沖縄の「城」は、「ぐすく」と読みます。
なので、中城城は、「なかぐすくぐすく」と読むのでは?とも思うのですが、そうではないのであります。
で、ここに行くのがなんで念願だったか?
理由一つ目は、沖縄県では、もっともよく遺構が残っていると言われていること。
これは、現地にある模型ですが、全体の様子がよくわかります。
ここは、まだ、琉球が3つに分立していた14世紀の後半ごろ、主要部分が築かれ、その後、1440年に護佐丸が増築、完成したと言われる城。
護佐丸が1458年、他の城(勝連城)の城主の攻略によって滅びた後、しばらくして統一された琉球王国の所有になったとか。
その後、薩摩の島津氏が侵略した、江戸時代を経て、
明治時代から終戦までは、村役場が置かれるなど、行政の中心地でしたが、沖縄戦で建物が焼失し、各時代にどんな建物が立っていたか詳しくはわかっていないとか。
念願だった理由二つ目は、城跡から海が見渡せること。
沖縄の城跡と言えば、琉球石灰岩でできた城壁。石灰岩とは、サンゴの死骸でできた石ですので、本土の石垣の石とは一味違う。それに、城壁の曲線も、なんともいえず、きれい。
そして、沖縄の海は、なんとも言えない、エメラルドブルー。
これに、青空が加われば、きっと、えもいわれぬ素晴らしい景色なことでしょう・・・想像がふくらみます!
沖縄は梅雨入りしていましたが、この日は、幸いに晴天に恵まれました。
念願だった理由三つ目、空港のある那覇市内から、バスで行けそうなこと。
前回沖縄に行ったときは、どのバスにのればよいのか、よくわからず、断念したのですが、今回、下調べした結果、何とかバスでたどりつけそうなので、再チャレンジしてみたのです。
城跡へは、那覇のバスターミナル発着の30系統のバス(行先表示に30と表示されている。泡瀬営業所行など、泡瀬東線)で、一時間ほどの、「久場」(くば)というバス停で降り、徒歩15分ほど。片道790円なり。休日でも30分に1本程度は便があります。(以上、2016年・平成28年5月末現在の情報です)
バス停から、バスの進行方向に向かって、先にしばらく歩くと、左手に久場公民館が。その前を左折し、後は道なりに15分上っていき、上りきったところを右に曲がると、城跡付近。
15分とはいえ、ずーっとだらだらした上り。登山です。きついはきついですが、アスファルトの舗装された道なので、山道という感じではありません。
それに、後ろを振り返ると、エメラルドブルーの海が見えます。時々、海を見て休憩しながら、何とかたどりつきました。
裏門側から入城すると
そこは「北の郭」
北の郭には井戸が。今もこんこんと湧いてます(@_@;)
水を確保することは、籠城するときに極めて重要なこと。中城城は、このほか、もう一つ城内に井戸を確保していました。
二の郭。南西側城壁。エメラルドブルーの海が見えます。実際はもっときれいでした。
かつて、この近くの屋宜というところに貿易港あり、そこでの貿易で栄えたとか。
ちなみに、屋宜というバス停、バスで通ってきたなあ、そういえば。
二の郭。南東側かな?この城壁のきれいなカーブが特徴です。
二の郭には、忠魂碑が。→沖縄戦のかな?
沖縄戦含め、いくつもの戦場となった場所です。
一の郭への入り口の門。
一の郭には、正殿が建っていたようですが、どのような建物だったか、わからないそう。
順路の一番奥にあるのが、正門です。
城址の手前に、護佐丸の墓が。
沖縄の独特の墓の形。17世紀にたてられたもののようです。
墓の前の石碑。護佐丸の名前が彫られています。これは、大正11年に建てられたものですが・・・。
チケットには、幕末、ペリー提督一行が調査に入ったときの、絵が。
建物が見えますが、これは、現在ではありません。
それにしても、暑かった・・・
2016-06-01 18:34
nice!(16)
コメント(1)
城壁から見下ろすエメラルドブルーの海・・・
私も見に行ってみたいです^^
嫁さんとも色々旅行の妄想は話し合うのですが・・・
ネックになるのは、どこかの坊やの存在です^^;
by 名犬ゴン太の兄 (2016-06-04 14:40)