青春18きっぷの旅2017夏4 甲斐武田のはじまりは? [歴史・史跡]
前回18きっぷの旅のテーマは、飯田線と、甲斐武田家の終焉でした。
「終焉」を巡ると、気になるのは、当然、「はじまり」
甲斐武田家のはじまりって、どこか、みなさんご存じでしょうか?余り知られていませんよね。
私自身も、当然、山梨県内、たとえば、勝頼が新府城を作った、韮崎市あたり(←うちの父の実家=私のルーツの近くなので、半分そうであってほしいと思っていました・・・)?と勝手に思っていました。
しかし、実は、山梨県内ではないんです。
甲斐武田家の「はじまり」の近所にある電信柱
ここが「武田」という地名であることがわかりますが、どこだかわからないですよね。
この武田がある最寄駅の隣は、実はこの駅。
茨城県の県庁所在地、水戸市。←これはちなみに武田の最寄駅の路線ではなく、水郡線のホーム。
甲斐武田のはじまりは茨城県=常陸国だった!
ということで、18きっぷの旅の次の行き先とテーマは、
甲斐武田のはじまり
それは、JR東日本 常磐線 勝田駅から徒歩20分程のひたちなか市(旧勝田市)にある、その名も武田地区。
行き当たりバッタリOKが青春18きっぷ旅のよいところd( ̄  ̄)
この日も出発したときは、常磐線勝田に直接向かう予定でありました。
この地域と言えば、常陸秋そば。
そろそろ新そばの季節?と思い、検索しましたが、勝田駅周辺の歩いて行ける距離には、これと言った店がない・・・
実は、この日の目的、武田のはじまりの他に、もう一つありました。
水郡線の「乗り残し」区間に乗ること!
水郡線とは、水戸から福島県郡山を結ぶ路線。
記事にしたかどうか忘れましたが、以前、水郡線には、乗ったことがあります。
その時は、郡山~水戸まで乗車。
しかし、これは、水郡線の全てではありません。水戸から6つ目にある上菅谷駅から常陸太田駅へ、北の方角に延びる支線があるのです。
いつか乗らなければ、と思っておりました。
・・・興味ない方には全く興味ない、鉄っちゃんの発想で、スミマセン。
しかも、常陸太田といえば、常陸秋そばの産地の近く。
調べたところ、歩いて行ける距離によさげなお蕎麦屋さんを発見!
ということで、急遽予定変更して、水戸から水郡線で常陸太田に向かうことにしました。
常陸太田駅
比較的新しい駅舎。
駅の中にも木材がふんだんにつかわれています。
ついた時間はちょうど昼時。検索したお蕎麦屋さんに向かって歩きます。
常陸太田の古くからの中心街は、鯨ヶ丘とよばれる丘(横から見ると、鯨みたいにみえることから、この呼び名となった模様)のうえに広がっています。
常陸太田駅は、丘の上ではなく、下にあります。←高いところに鉄道通すの大変だからね。
お蕎麦屋さんがあるのも、丘の上。
ということで、駅からなだらかな坂を上がって行きました。
20分位で、目的のお蕎麦屋さんへ。
「鯨荘 塩町館」さん。鯨ヶ丘にあるから、鯨荘なんですね、きっと。
この趣ある建物は、もともと、太田銀行として使われていたもの。明治時代の建物で、モダンで素敵です。
写真はありませんが、建物の中も、シンプルで素敵でした。
お待ちかねのおそば。
これは、ネギ天せいろ。ネギの天ぷらです。めずらしい。ありそうでないですよね、ネギの天ぷら。ネギはもちろん地元でとれたもの。
そばも天ぷらもおいしかったです。
ここは、慈久庵という、同じ市内の有名店の姉妹店らしいです。
大変人気があるお店のようで、ひっきりなしにお客さんが来ていました。
塩町館さんのお隣
塩町館さんの道路はさんだ向かい側には、こんな石碑が。
幕府の徒目付(かちめつけ)のお屋敷があったようです。
近所にもこんな趣ある建物が。
これは重要文化財に認定されているようです。
・・・などなど、丘の上にたくさんの歴史的建造物が。
古くから栄え、この地形故、戦災にも遭わなかったから、建物が保存されているんでしょうね。
なんで古くから栄えたかと言うと、このあたりは、中世は、佐竹氏の居城だったからです。
丘がそのまま、天然の要害だったからでしょう。
佐竹氏は、その後、秋田に国替えになります。今も秋田県の知事は佐竹さんだったような・・・。
そして、この佐竹氏、武田氏のはじまりにも、関係していることが後ほど判明します・・・。
ということで、常陸太田駅に戻り、水郡線に乗車。
といっても、電車は、支線の終点・上菅谷どまり。
水戸行きに接続するまでちょっと時間があるので、18きっぷ恒例の途中下車。
上菅谷駅の駅舎。
駅前を歩きまわったけど、見事に何もなかった・・・
ということで、上菅谷駅に戻り、郡山方面からくる、水戸行きを待ちました。
支線ホーム。
そして、水戸駅で、常磐線に乗り換え、勝田駅へ。
駅からは、電信柱にところどころに案内表示があり、迷うことなく、武田の「はじまり」に復元された館跡へ。
ひたちなか市HPより引用
平安時代末期(12世紀初め頃),源義家の弟義光は常陸国への進出を図り, 長男義業(よしなり)を久慈郡佐竹郷(常陸太田市)に,三男義清を当地,那賀郡武田郷に土着させました。義清は地名をとって武田を名乗り武田氏の始祖となりました。
つまり、武田がなんで武田になったかというと、この地が古くから武田と呼ばれていたから。
それよりも、佐竹郡の常陸太田とは、先ほど伺った常陸太田でしょう。
つまり、武田のはじまりと、佐竹は、兄弟だった、ってこと。
現地に行くまで、知りませんでした(´⊙ω⊙`)
この日、常陸太田を訪ねたのは、私が鉄だから。でしたが、偶然にも武田のはじまりにも関連していたとは。感動でした(^ω^)
厩。武田と言えば、騎馬軍団だからか?
常陸で武田を名乗った武田氏は、その後、勢力争いに負けて、甲斐へ行くことになります。
私はといえば、武田氏のはじまりの館跡に行った後、勝田駅にもどり、勝田始発の常磐線普通で、帰途に着きました。もちろん、土産にそば焼酎かかえて。赤土というそば焼酎、絶品ですよー(^ω^)
余談ですが、常磐線は、勝田発着が多く、勝田からならほぼ確実に座れます。水戸で座るのは、ちと難しかったかも。
その意味でも、今日の行程は完璧だったと自画自賛満足d( ̄  ̄)
「終焉」を巡ると、気になるのは、当然、「はじまり」
甲斐武田家のはじまりって、どこか、みなさんご存じでしょうか?余り知られていませんよね。
私自身も、当然、山梨県内、たとえば、勝頼が新府城を作った、韮崎市あたり(←うちの父の実家=私のルーツの近くなので、半分そうであってほしいと思っていました・・・)?と勝手に思っていました。
しかし、実は、山梨県内ではないんです。
甲斐武田家の「はじまり」の近所にある電信柱
ここが「武田」という地名であることがわかりますが、どこだかわからないですよね。
この武田がある最寄駅の隣は、実はこの駅。
茨城県の県庁所在地、水戸市。←これはちなみに武田の最寄駅の路線ではなく、水郡線のホーム。
甲斐武田のはじまりは茨城県=常陸国だった!
ということで、18きっぷの旅の次の行き先とテーマは、
甲斐武田のはじまり
それは、JR東日本 常磐線 勝田駅から徒歩20分程のひたちなか市(旧勝田市)にある、その名も武田地区。
行き当たりバッタリOKが青春18きっぷ旅のよいところd( ̄  ̄)
この日も出発したときは、常磐線勝田に直接向かう予定でありました。
この地域と言えば、常陸秋そば。
そろそろ新そばの季節?と思い、検索しましたが、勝田駅周辺の歩いて行ける距離には、これと言った店がない・・・
実は、この日の目的、武田のはじまりの他に、もう一つありました。
水郡線の「乗り残し」区間に乗ること!
水郡線とは、水戸から福島県郡山を結ぶ路線。
記事にしたかどうか忘れましたが、以前、水郡線には、乗ったことがあります。
その時は、郡山~水戸まで乗車。
しかし、これは、水郡線の全てではありません。水戸から6つ目にある上菅谷駅から常陸太田駅へ、北の方角に延びる支線があるのです。
いつか乗らなければ、と思っておりました。
・・・興味ない方には全く興味ない、鉄っちゃんの発想で、スミマセン。
しかも、常陸太田といえば、常陸秋そばの産地の近く。
調べたところ、歩いて行ける距離によさげなお蕎麦屋さんを発見!
ということで、急遽予定変更して、水戸から水郡線で常陸太田に向かうことにしました。
常陸太田駅
比較的新しい駅舎。
駅の中にも木材がふんだんにつかわれています。
ついた時間はちょうど昼時。検索したお蕎麦屋さんに向かって歩きます。
常陸太田の古くからの中心街は、鯨ヶ丘とよばれる丘(横から見ると、鯨みたいにみえることから、この呼び名となった模様)のうえに広がっています。
常陸太田駅は、丘の上ではなく、下にあります。←高いところに鉄道通すの大変だからね。
お蕎麦屋さんがあるのも、丘の上。
ということで、駅からなだらかな坂を上がって行きました。
20分位で、目的のお蕎麦屋さんへ。
「鯨荘 塩町館」さん。鯨ヶ丘にあるから、鯨荘なんですね、きっと。
この趣ある建物は、もともと、太田銀行として使われていたもの。明治時代の建物で、モダンで素敵です。
写真はありませんが、建物の中も、シンプルで素敵でした。
お待ちかねのおそば。
これは、ネギ天せいろ。ネギの天ぷらです。めずらしい。ありそうでないですよね、ネギの天ぷら。ネギはもちろん地元でとれたもの。
そばも天ぷらもおいしかったです。
ここは、慈久庵という、同じ市内の有名店の姉妹店らしいです。
大変人気があるお店のようで、ひっきりなしにお客さんが来ていました。
塩町館さんのお隣
塩町館さんの道路はさんだ向かい側には、こんな石碑が。
幕府の徒目付(かちめつけ)のお屋敷があったようです。
近所にもこんな趣ある建物が。
これは重要文化財に認定されているようです。
・・・などなど、丘の上にたくさんの歴史的建造物が。
古くから栄え、この地形故、戦災にも遭わなかったから、建物が保存されているんでしょうね。
なんで古くから栄えたかと言うと、このあたりは、中世は、佐竹氏の居城だったからです。
丘がそのまま、天然の要害だったからでしょう。
佐竹氏は、その後、秋田に国替えになります。今も秋田県の知事は佐竹さんだったような・・・。
そして、この佐竹氏、武田氏のはじまりにも、関係していることが後ほど判明します・・・。
ということで、常陸太田駅に戻り、水郡線に乗車。
といっても、電車は、支線の終点・上菅谷どまり。
水戸行きに接続するまでちょっと時間があるので、18きっぷ恒例の途中下車。
上菅谷駅の駅舎。
駅前を歩きまわったけど、見事に何もなかった・・・
ということで、上菅谷駅に戻り、郡山方面からくる、水戸行きを待ちました。
支線ホーム。
そして、水戸駅で、常磐線に乗り換え、勝田駅へ。
駅からは、電信柱にところどころに案内表示があり、迷うことなく、武田の「はじまり」に復元された館跡へ。
ひたちなか市HPより引用
平安時代末期(12世紀初め頃),源義家の弟義光は常陸国への進出を図り, 長男義業(よしなり)を久慈郡佐竹郷(常陸太田市)に,三男義清を当地,那賀郡武田郷に土着させました。義清は地名をとって武田を名乗り武田氏の始祖となりました。
つまり、武田がなんで武田になったかというと、この地が古くから武田と呼ばれていたから。
それよりも、佐竹郡の常陸太田とは、先ほど伺った常陸太田でしょう。
つまり、武田のはじまりと、佐竹は、兄弟だった、ってこと。
現地に行くまで、知りませんでした(´⊙ω⊙`)
この日、常陸太田を訪ねたのは、私が鉄だから。でしたが、偶然にも武田のはじまりにも関連していたとは。感動でした(^ω^)
厩。武田と言えば、騎馬軍団だからか?
常陸で武田を名乗った武田氏は、その後、勢力争いに負けて、甲斐へ行くことになります。
私はといえば、武田氏のはじまりの館跡に行った後、勝田駅にもどり、勝田始発の常磐線普通で、帰途に着きました。もちろん、土産にそば焼酎かかえて。赤土というそば焼酎、絶品ですよー(^ω^)
余談ですが、常磐線は、勝田発着が多く、勝田からならほぼ確実に座れます。水戸で座るのは、ちと難しかったかも。
その意味でも、今日の行程は完璧だったと自画自賛満足d( ̄  ̄)
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