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犬山城3 [歴史・史跡]

明治の世になり、一旦は愛知県の所有となった犬山城。

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個人の私有となったのには、経緯があります。

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天守最上階には歴代城主の肖像画が^_−☆

明治24年(1891)、マグニチュード8.4の「濃尾大地震」によって天守が半壊するという大きな被害に会いました。

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これがその時倒壊したという付櫓

そのため、同28年に修理を条件として県から旧藩主の成瀬家に譲与され、成瀬家と犬山町民が義援金を募り、無事修復されました。きっと、莫大な費用がかかったと思います。


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昭和10年、国宝に指定された後も、全国唯一の個人所有の城として保存されてきましたが、平成16年(2004)、「財団法人犬山城白帝文庫」の所有となって現在にいたっています。

個人所有の城を維持していくのは、並大抵のことではできないと思います。敬意を表しますm(._.)m

ところで、白帝文庫とは、犬山城の別名が白帝城というのに由来しています。

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犬山城は、このように木曽川沿いの風光明媚なところにあり、それがこの別名の由来。本当は、この写真中央左付近に岐阜城が見えるはずですが、この日は、イマイチ(; ̄ェ ̄)

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この別名は、江戸時代の儒者荻生徂徠(おぎゅう・そらい)が李白の詩にうたわれた白帝城という、中国にあった風光明媚な城にちなんで名付けたとか^_−☆

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徳利に、そんな風光明媚な犬山城が描かれた日本酒は、旦那への土産(*^_^*)

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その他犬山城がデザインされた土産は、昨日ご紹介したわん丸君クッキーのパッケージや

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こんな ミニレターセット・・・もったいなくて、未だ使えず(; ̄ェ ̄)

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城下町も、カフェなどに改装して貸すなど、努力してよく保存されていると思いました。

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犬山城2 [歴史・史跡]

犬山城は、天守が現存最古と言われています^_−☆

犬山城の登城口に何故か薩摩義士の碑
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これは、江戸時代に入ってから、木曽川の治水工事に尽力した、薩摩藩の藩士を称え、建てたものだとか。


築城は織田信長の叔父信康が砦を改修して城にしたと言われています。
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江戸時代に尾張藩の付家老の成瀬正成が入り、以来、成瀬氏の居城となり、なんと最近まで、成瀬氏の子孫が私有していました!(◎_◎;)
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現存する天守は、江戸初期慶長年間のもの。
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成瀬氏の、旧領は、現千葉県の葛飾にあったとか。今の京成西船橋付近。京成西船橋の近辺には、葛飾郷時代の史跡が、たくさん!(◎_◎;)京成西船橋駅は、そういえば、私の子どもの頃は、葛飾駅でした^_−☆
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犬山の公認キャラ、わん丸君(; ̄ェ ̄)

犬山だから、わん丸なんでしょうけど、ひこにゃんにはやはり敵わないかなー?

私はまあまあ、可愛いかも(*^_^*)と思ったので、いろいろ土産を買ってかえったのだが、犬好きの旦那は酷評(; ̄ェ ̄)

ゆるキャラは難しい( ̄Д ̄)ノ

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犬山城1 [歴史・史跡]

毎年恒例、学生の移動法律相談のお手伝いに岐阜県多治見市へ

うながっぱのクッキー。おいしかった(多治見駅で売ってます)
・・・うながっぱとは、多治見のゆるキャラ。
多治見には、かっぱの伝説があることと、ウナギが名物であることが由来とか。
なんで、ウナギが名物かというと、美濃焼の窯元で働く職人さんたちに精をつけてもらうために、名物になったとか。
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帰り道、多治見からなぜかJR太多線に乗ります。

非電化でディーゼルの音が心地よい電車♪

JR可児駅。ディーゼル電車って、やっぱりいいですね(*^_^*)
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ここで、向こうに見える名鉄の赤い電車に乗り換え。名鉄は電化されてるんですねえ。
・・・って、電車を堪能して写真をとっていたら、乗り遅れた(>_<)

名鉄の車内。走行速度が表示されるんですねえ。この路線だけではなく、帰り名古屋に向かう名鉄特急にもありました(^_^)v
これは面白い(^^)/
小さい頃・・・っていうより、今も、電車の運転室の、メーター表示をじ~っと眺めているのが好きな私としては、わざわざ電車の先頭か最後尾に行かなくても済むので、ありがたいかも。
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ついたのは名鉄犬山駅。犬山城の玄関口です。
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やってきました!国宝犬山城(^^)/
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乞うご期待(^_^)v
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夏休み3 [歴史・史跡]

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スカイツリー^_−☆
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え、ピラミッド?向こうにエッフェル塔の頭?

そう、ここは鬼怒川です。

駅前の鬼怒川のキャラクター、鬼怒太像^_−☆
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何故か足元にお賽銭。翌日見たら、なくなってました(; ̄ェ ̄)
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鬼怒太と同じ格好をする、甥っ子一号(もうすぐ6歳)
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スカイツリーとピラミッドは、東武ワールドスクエアにあります。
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旧帝国ホテル
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新東京国際空港
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日光の天然氷のかき氷。口に入れた途端溶けちゃいました^_−☆
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何故か写真のとりあいっこ^_−☆
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本物は現在改修中の国宝姫路城天守。いつか行きたいです(*^^*)
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美ら海 [歴史・史跡]

最近ブログの更新頻度が低すぎる!というお叱りを受けたので、頑張ってみます( ̄▽ ̄)

沖縄の海は本当に綺麗でした(*^^*)
金武(きん)湾 沖縄自動車道伊芸サービスエリアより

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海洋博記念公園前の海

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そして、美ら海水族館

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部瀬名岬の海

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那覇空港では飛行機と海のコラボ

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・・・言葉は要りませんね^_−☆
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沖縄の世界遺産 [歴史・史跡]

なかなか沖縄の記事がアップできませんが、ぼちぼちいきます!

(私的に)観光のメインはやはり城。そうすると、首里城ははずせません。
なんてったって、世界遺産ですし。

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首里城は、琉球王国の政治経済文化の中心。

琉球王国は、独立国(日本でも中国でもない)として、中国(明~清の時代)に朝貢をしていました。その儀式もここでおこなれたそうで、建物は日本と中国双方の様式を取り入れています。


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この城壁、万里の長城っぽい^_−☆

首里城と言えば、最初の写真の建物ですが、すべて戦後の復元です。

というのも、第二次世界大戦の戦場となったため、城の遺構はほとんどが破壊されています。

戦場となり破壊されたのには理由があります。

日本軍の総司令部が首里城の地下にあったからです。

今でも、首里城の近くに地下壕が残っています。

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この辺りは観光客はほとんど来ないかもしれませんが、ぜひ見てほしい場所です。


ちなみに、世界遺産は、首里城だけではありません。首里城をはじめとする沖縄の城(「ぐすく」と読みます)群ほかが世界遺産となっております。

園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)も世界遺産

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御嶽とは、聖地のこと。この門の向こうの森が聖地となっており、琉球王は、出かける際、この門で道中の安全を祈願したそうです。

世界遺産の一つであり、首里城から徒歩10分以内でありながら、観光客がほとんどこない玉陵(たまどぅうん。実際私が訪問した際、観光客は私一人だけ・・・)

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琉球の歴代王のお墓です。

石でできた、家形のでかい墓です。

ちなみに、沖縄の墓は、独特で、家の形をしています。
タクシーの運転手さんによると、その人の生き様そのものを表しているとか。
玉陵ほど大きくはありませんが、大きさはさまざまです。

玉陵を訪問した日は、沖縄慰霊の日。
ちょうど近くに、旧制中学の跡地があり、そこで慰霊行事が行われていたようで、唱歌が聞こえてきました。
広大な敷地の中、私一人で唱歌を聞いていました。しみじみとした気分になりました。

ここは世界遺産となっているのかは不明ですが、観光客が訪れないところの一つ、金城町石畳道。

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ここは、那覇から首里城に向かう道で、首里城があった往時からの道。
ここは、戦火をまぬかれたようです。

実はこの翌日、那覇市の歴史博物館を訪れました。
ここ、県庁の近くで、入場料はなんと300円(ゆいレールの一日乗車券などがあると、240円になります)!


企画展で沖縄戦で犠牲になった学校の様子が展示されていました。
本土にいると忘れがちですが、沖縄は、全島が激戦地となったところ。東京大空襲といいますが、被害はその比ではないと思います。

そして、歴史をたどると、独立国でいながら、いくどとなく日本(薩摩)の侵攻をうけ、明治以降日本の領土の一部となりつつも、第二次大戦後占領地となり、今も基地がある島。

いろいろなことを考えてしまいました。
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28年ぶりの再会 [歴史・史跡]

先週末、母校の小学校で、学年全体の同窓会がありました。
小学校は同窓会は初めてです。なんと28年ぶりの再会[exclamation×2]

会場は、なんと、小学校の体育館[exclamation&amp;question]
なぜ体育館での開催が実現したか?
後でわかったことですが、同窓生が、母校の小学校のPTA会長をしていることに加え、当時の学年の担任の先生の何人かが、現在母校に赴任しているから(公立小学校ですが、同じ学校に何度か赴任することはありえます)。

この日は、実家に泊まる予定なので、実家に寄ってから、当時の通学路を通って、会場へ。
通学路途中、鬼ごっこしたり、ボール遊びをした公園
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ここは、実は史跡なんです(^^)/
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このコンクリの建造物は、陸軍鉄道連隊演習線の橋脚の跡です。当時も史跡だということは、知っていたものの、平気でボールぶつけてた(^_^;)


戦時中、千葉には現在の千葉市に鉄道第一連隊、習志野(津田沼駅近く)に鉄道第二連隊があり、千葉から習志野、習志野から松戸に演習線が敷かれました。

習志野から松戸の演習線は、現在、新京成電鉄になっております。
といっても、人が乗る電車が走るには余りにも曲がりくねっているため(今でもカーブ多いけど(^_^;))、一部ショートカットされています。

私もここ以外知らなかったのですが、調べてみるとふるさとの鎌ヶ谷市内には、このような橋脚跡が複数残っているそうです。
全て、台地と台地の間の窪地に、架橋の演習を兼ねて掛けられた橋の跡です。
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実際、このような急坂です。
こんなところを毎日登って通学していました。
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ちなみに、この坂は、マロンと歩いたお散歩コースでもあります。マロンとの思い出も沢山です。

学校到着までに、もう一つ急な坂を下り、階段を上って、校舎が見えてきました。
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耐震工事を施していますが、当時のままです。

同窓会は、なんと100人以上が出席。当時の校長先生や、担任の先生も出席しました。これも、PTA会長がいるからこそ実現したこと。

圧巻は、当時、とあるクラスの悪ガキ数名が、担任の先生(女性)をとても困らせていたのですが(今で言えば学級崩壊状態かも?!)、こいつらもと悪ガキが、担任の先生に謝ったこと。

悪ガキも、立派に更生できるんだ、と光をみた思いでした(*^_^*)

ほぼ30年ぶりで、お互い顔を見てもわかるのかな?と思っていましたが、意外と面影は残っているもの。私も、全然かわらない、と言われました。進歩がない、ということかもしれませんが、ほめられたと肯定的に捉えることにします。

それにしても、驚いたのは、地元に残っている人が、多いこと(>_<)
私も、なんだか、地元に帰りたくなっちゃいました・・・

幹事のみなさん、本当にお疲れ様でした[黒ハート]




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忍城攻め [歴史・史跡]

GW後半の4日連休は、最初と最後の日は仕事に出ましたが、真ん中の二日は有意義に過ごしました。
この間旦那はずーっと仕事でしたので、一人で過ごしました。もう慣れっこです。

4日は、冬物を洗濯機手洗いモードで洗濯したり、家じゅうを比較的丁寧に掃除したあと、夜の街?に繰り出し、ショッピングとディナー、レイトショーで映画を楽しみました。

映画は、アイアンマン3。
今回は、生身で活躍する場面が多かったので、主演のロバート・ダウニー・Jr大好きの私は大満足(^_-)-☆

そして、5日は、これもGW恒例行事となった、城攻めへ。
去年は、岩槻城へ行きましたが、今年は、のぼうの城でブームとなった忍城攻めに埼玉県行田市へ。
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のぼうさまのご先祖の成田氏が築城、岩槻城と同じく、自然の沼や川を堀として利用した城です(関東平野にある城は、そういう例が多いです)。
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石田光成の水攻めによっても、落城しなかったのは、有名な話ですね。
このことから、「浮き城」と言われています。
水攻め後、成田氏が降伏し、徳川家康の江戸入府後は、忍藩がおかれ、親藩・譜代大名が藩主となりました。

現在、沼の多くは埋め立てられていますが、一部が公園として整備されています。その名も水城公園。
今でもこのように広~い沼ですが、これは当時の沼のほんの一部。広大な沼だったことが、わかります(@_@;)
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その他、城の現存遺構としては、江戸時代の藩校・進修館の門(移築)や
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※ちなみに、この地域には県立進修館高校というのがありますが、藩校にちなんだ名前でしょう。

進修館の門の西側土塁
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諏訪神社鳥居横の土塁がありました。
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忍城と言えばこの櫓ですが、
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これは、当時の遺構ではなく、復元されたもの。中は、行田市の郷土博物館となっています。

櫓の一番上まで登り、行田市内を一望することができます。
ただ、現在この櫓のある場所、江戸時代は本丸でしたが、木立が茂っており、建物はありませんでした。

実際の三重櫓は、水城公園の入り口付近にあったようです。
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櫓の横には時の鐘もありますが、これも複製。
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本物の鐘は、郷土博物館に展示されていました。

水城公園を南東側に向かって歩いていくと、佐間天神社。
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ここは、忍城水攻めの際、成田氏の重臣の正木丹波守が守った佐間口があった場所と言われています。
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佐間天神社の目の前にあるのが、高源寺。
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ここは、水攻めの死者を弔うため正木丹波守が開基したとされる寺。
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現在も慰霊碑が立っています。
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また、門のすぐ脇に正木丹波守のお墓があります。
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行田は、以前ご紹介した十万石まんじゅうの、十万石ふくさやの本店があるところです。
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のぼうの城にちなんだこんな十万石まんじゅうがありました。
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それと、みそあんの柏餅を購入。
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本店は、このような風情ある蔵。
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江戸時代は呉服商が使っていた蔵だったようです。郷土博物館にも、この呉服商の蔵を書いた絵が展示されていました。

この日の昼は、いつものようにそば。
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やはり蔵にあるお蕎麦屋さんです。
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蔵を再利用するために立ち上げたNPO法人が経営しています。
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実は、行田市の忍城ともうひとつの売りは、蔵のある街並み。
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特に、足袋産業で栄えたため、足袋蔵がたくさんあったようです。
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日清・日露戦争のときは、受注が増えたため、大変に栄えたそうです。
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水城公園の近くにも、「○○足袋株式会社」の看板がかかる建物がありました。蔵ではありませんが、風情ある建物です。
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水城公園の北にはこんなものもありました。
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秩父鉄道をはしっていた機関車。美人といわれていた機関車のようです。確かにスマートな感じがします。

今回回ったところは、いずれも駅から徒歩15分圏内。

郷土博物館以外は、人もまばらでした。

ちなみに、去年岩槻城攻めに行ったのも、5月5日だったような気がします。

去年も、確か、城堀跡の沼と電車と時の鐘をみて、そばを食べて、柏餅と名物和菓子(時の鐘最中)を買って帰ってきたのでした。

なんだか、毎年おんなじことをしているなあ・・・

こうなったら、来年の子どもの日も、時の鐘と電車があって、和菓子のある、城址攻めと行きましょう♪
次は川越か?電車あるかなあ・・・

長くなってしまいました。最後までおつきあい頂いた方、ありがとうございましたm(_ _)m

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粕壁宿 最勝院 [歴史・史跡]

仕事のついでにぶらり歴史散歩、今回は日光街道粕壁宿です。

春日部(粕壁)は、以前も書かせていただきました。
現在はクレヨンしんちゃんで有名ですが、古くから栄えていた場所です。

「春日部」という地名は古くからあったようです。
この地を治めていた豪族は、「春日部」の姓を名乗っていました。

江戸時代は、日光街道の宿場町粕壁宿として、栄えました。
なぜ春日部が「粕壁」という表記になったのかは、不明だそうです。

なお、市の名前は春日部市ですので、市制施行(正確には春日部町になった町制施行のときから)とともに、「春日部」という、古い地名が復活したことになりますが、このような例は全国でも珍しいそうです。

ちなみに、町名は、春日部ではなく、(春日部市)粕壁や粕壁東です。ややこしいですね。

駅前東口から粕壁宿方面に向かう街角には、なぜか、古い映画のポスターが・・・
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「風と共に去りぬ」ですね(^_-)

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駅近くの東武食鮮市場という、スーパーの駐車場にもポスターが沢山あります。
なぜ古い映画のポスターがあるのかも、不明ですが、何となくいい味だしてます。


江戸方面から日光方面に向かって日光街道を進んでいくと、街道は、粕壁宿のはずれで、右に直角に曲がります。
このように直角に曲げているのは、城などと同じく、敵の侵入を防ぐため、だとか。

曲がり角の、突き当たりは、寺町となっており、現在でも沢山の寺が残っています。

突き当たりにいまでもある立派なお寺が、最勝院。
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ここは、春日部重行の墓があることで有名。
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春日部重行は、南北朝時代に、南朝側について、足利尊氏と戦って死んだとされています。
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本堂の西側の丘が、重行の墓と言われているようですが、今回は時間がなくて伺えませんでした。

寺町の手前で直角に曲がった街道は、新町橋で大落古利根川(おおおとしふるとねがわ)を渡ります。

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下流側。向こうに見えるのは、ロビンソン百貨店。
3月に同じグループ(セゾンがセブン&アイに吸収されましたからね)の西武百貨店に衣替えする準備中、もう看板は掛け替えられていました。

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上流側。

大落古利根川とは、文字通り昔の利根川です。

利根川は、江戸時代までは、中川などを経由して東京湾に注いでいましたが、家康が江戸城に入った後、関東平野全般にわたって、大規模な河川改修工事が行われ、その一環として、利根川など多くの川の流れが変えられました。
ちなみに、事務所の近くを流れる元荒川も、昔の荒川で、このとき流れが変えられた川の一つ。

現在のような姿になったのは、明治時代と言われています。

この、大規模な河川改修事業の目的は、諸説あるようです。

私のふるさとの千葉県の郷土史の授業では、利根川を東京湾ではなく太平洋に流すことで、江戸を水害から守る目的だった・・・とならった記憶がありますが、必ずしもそうではない、とか。
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最後の水戸藩主の隠居場所&ぴよぴよ最中 [歴史・史跡]

先週、松戸の裁判所に行きました。

松戸の裁判所は、最近建て替えをして、支部とは思えないほど立派になりました。

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逆光で見えにくくて、ごめんなさい。


思ったより早く期日が終わったので、裁判所から徒歩10分ほどの所にある、戸定(とじょう)邸までぶらり。
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ここは、最後の水戸藩主の徳川昭武が、明治時代になって、家督を譲った後、隠居した場所です。
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徳川昭武の兄は、最後の将軍徳川慶喜。
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徳川昭武は、大政奉還前、慶喜の代理として、パリ万博に出席していました。
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その後、パリに残って遊学していた時、大政奉還の一報を聞いて、帰国、水戸藩主となりました。
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明治維新後、朝廷に仕えるなどした後、20代なのに家督を譲って隠居、松戸に移り住みました。
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松戸は、鷹狩りなどの際に立ち寄ったことはあるのですが、それ以外に縁もゆかりもなかったそう。
なぜ松戸を隠居場所にしたのかはよくわかっていないそうです。

東京ひよこで、ショコママ(ケリー)さんおすすめの焼きトリュフ「ひよこちょこちょこ」を購入。濃厚でおいしかったです。

その時、かわいいもなかを発見。「ぴよぴよもなか」です。
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ひよこ型の小さな最中が二つ入っています。
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あずき餡と、うぐいす抹茶餡です。
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ところで、東京ひよこの工場は、埼玉県の草加市にあるって、知ってました???

本社は、東京の上野にあるのですが、工場は、なぜか昔から草加にあります。

現在の工場は、草加市の南部の谷塚というところにあり、すぐ隣に川があり、川の向かいは東京都なのですが、昔の工場は、草加市内のもう少し北の方にありました。

草加で作っているのに、東京ひよこって・・・・まあ、東京ディズニーランドも、千葉県浦安市にありますからね。
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